紅白看板よ、永遠なれ

相変わらずの遅筆で、事実上1ヶ月遅れとなってしまい
皆さまには多大なご心配・ご迷惑をおかけいたしておりましたが
2011年3月27日に行われた、石丸電気SOFT本店FINALイベントのレポートを
この度、個人的記録を含めて書き記しておくことにしました。
大変な長文となっておりますので、もしお読みいただけるのであれば
ぜひ充分にお時間のあるタイミングでお読みいただければと思います。








2011年3月27日、日曜日。天気、快晴。
浅草でのNGPメンバーによる募金活動から早々と引き上げ
この日で営業を終了する石丸電気SOFT本館前に到着すると
店の周囲には既に、この日この場所での最後のライブを行う
5組のアイドルグループのファンが黒山の人だかりを作っていた。
「今日が終われば、石丸での彼女たちのライブはもう見られない」
歩道から溢れんばかりの人の波は、彼ら、いや我々のそんな想いが
可視化されているかのように、自分には見てとれた。


ももいろクローバー私立恵比寿中学YGAぱすぽ☆
それぞれのグループ、それぞれのファンの気持ちが収まり切らず
この日の、そして石丸SOFT本店ライブイベントの大トリを務める
NGPの開場・開演は都合20分ほど遅れただろうか。
慣れ親しんだ幅一人分のエスカレーターをひとつひとつ上り
最近では足を踏み入れることが出来なくなっていた6Fへ。


かつてはイベント会場へ入る際の集合場所であり
様々なアイドルの写真集・DVDやそのムービーが放映され
目や耳においてもとても賑やかな空間だった6Fフロアも
既にエアキャップ(俗に言うプチプチ)で梱包された陳列棚が
雑然と固められた、物悲しい雰囲気に包まれていた。
それでも、最後の最後で思い出の沁みたフロアを踏みしめられたことは
長年通い続けたファンにとっては、嬉しいひとときだっただろう。


久々にワンフロア分だけ非常階段を駆け上がった先、
7Fイベントスペースの後方に、いつもの物販テーブルはない。
今回のイベントは事前抽選による無料招待。
回収されなかった整理券を握りしめた招待客たちが
滞りなく入場を完了すると、程なくしてライブは始まった。


数々の経験と溢れる思い出が染み付いたステージ上で歌い踊るメンバー、
揃いの赤いTシャツに身を包みその模様を見つめる石丸電気の店員さんたち。
彼らももちろんその胸に熱いものを抱いていたに違いないのだが
この日一番熱かったのは、壁の表面を割らんばかりの声援と歓声を
もう二度と跳ね返すことはないであろう、このイベントホールに響き渡らせた
我々ファンの想いだったのではないかと自負せずには居られない。
1曲ごとに高まる気持ちと、1曲ごとに減っていく時間の中で
我々は大いに吼え、跳び、踊り、そして歌った。
外に出ればまた肌寒い3月末の夜、誰もがTシャツ1枚の姿になり
それでもなお額や身体に汗を光らせていたのが、なによりの証だろう。


全ての演目が終了し、それぞれこのステージへの感謝を述べるメンバーたち。
どうにか泣くのを堪えたいくっちが、最後にコメントを終えて締めると
ステージの左手から、石丸イベントの全てを取り仕切った工藤さんが壇上へ。
数多くのイベントを石丸で行ってくれた(本人談)NGPへ対する想い、
そして17年間この地に立ち続けたこの建物への想いを
号泣しつつも気丈に語り続けてくれた工藤さん。
その姿に、会場内の人々もつられて涙をこぼすのであった。
最後は一際大きく鳴らされたBGM、石丸電気のテーマソングに合わせて
メンバー、店員さん、ファン全員が声をそろえて大合唱。
ハイタッチやそれぞれの言葉を交わして、思い出のホールを後にするのだった。


閉店時間を大幅に過ぎた、20:30頃。
昨年9月に赴任してきたばかりだったという店長さん以下
全ての店員さんが、赤地に白文字で「THANK YOU」と書かれた
揃いのTシャツを着て、1F駅側の入口に集まる。
「時代は変わっても、音楽や映像は衰退させてはならない我々の財産」
「”音楽や映像があってよかった”そういう時代を作る(遺す)ために
 皆さん(客)のご協力をお願いしたい」
涙ながらにそう語り、感謝の叫びを放った店長さんに
寒空の中残ったファンは、最後の盛大な”石丸MIX”で応えるのであった。


閉店間際、折からの節電の流れに則り消灯されていた店頭の照明が
まるでロウソクが最後に煌々と燃えるかのごとく
次々と点灯されていき、建物は一瞬だけかつての輝きを取り戻す。
ほの暗くなってしまった秋葉原の街を、自身の光で照らしながら
石丸電気SOFT本店は、ゆっくりとそのシャッターを閉じるのであった。

【セットリスト】


キャナァーリ倶楽部
01.SWEET & TOUGHNESS
02.夢を信じて
03.青春万歳!
04.ALIVE!〜ARE YOU READY〜
05.以心伝心〜君はマブダチ〜


THE ポッシボー
06.メロンのためいき(橋本・秋山)
07.宇宙から〜CRY FOR HELP!〜
08.旅の真ん中
09.LOVE2 パラダイス
10.幸せの形


<全員>
11.ヤングDAYS!!


<アンコール?>
12.石丸電気のテーマ


昔々(といっても4年ほど前の話だが)自分の中で石丸電気
”CMでしか見たことない電器屋さん”でしかなかった。
沿線を利用中に車窓から見ることはあっても、入店したことは一度もなく
ただただ「店舗数は多そうだな」という知識しかなかった。
まだポッシという存在を名前だけしか知らなかった頃、
イベントに誘われた時に

「(石丸電気)SOFT2に来てね」
「いや、SOFT2っていったい何処だよ!」

なんてやり取りをしていたのが
つい昨日のことのように思い出される。


当時は路上のメイドさんにキョドるほど、ウブ(?)だった自分も
今では立派な(??)アキバの住人になりました(ノ△`)
電気街口を出たところに居る、絵売りのお姉さんのあしらいも上手くなったし←
昔はあんなに敷居の高かった、1Fエスカレーター脇のソファエリアが
今じゃあそこに座って歓談するのが一番落ちつけるくらいなんだもんなぁ。。。




ポッシのイベントで初めて石丸電気に行った自分としては
ポッシとの歴史=石丸電気との歴史である。


「TAWAWA 夏ビキニ」のイベントで本格的に推しメンバーを決め
秋葉原へ通い詰める生活が始まったのを皮切りに
(実際のところはその前に決まってたからこそ、
 このイベントに通い詰めたと言った方が正確ではあるが)


ステージ上で汗だくになっているメンバーたちとの握手で
小さな携帯式扇風機の風を当てながら話した「風のうわさ」も


亀戸で”リアルエアバンド”に対抗してサックス持ってったおかげで
サックス談義に華を咲かせた「HAPPY 15」も


400人定員の「なんちゃってカウントダウン」の整理券抽選で
なんと400枚目の整理券を引くことになった2007年の晦日
(整理番号的には100番台中盤くらいとまずまず)


ライブパートで最前に座ってたら、立ち位置が思いっ切り目の前で
ガッツリ目が合うと気恥かしくて目を逸らしてしまうと言う
いわゆる(?)”テレ芸”を発揮し本人に怒られた「シアター第五弾」も


”立ち最前左”という定位置を見つけるきっかけとなり
その後の活動に様々な影響を与えた(←何の話?)「ラヴメッセージ!」も


1年ぶりのTAWAWA〜にテンション最高潮にならざるを得なかった
「沖縄DVD」発売イベントも


福島生誕での関わりをきっかけに(?)
ソロ握手会での”行かせ合い”に巻き込まれ
300枚のいじわる〜を売り切れにさせた「ポッシ2周年」も


都合5時間くらい待たされたため、身体は疲労困憊だったけど
テーブルを挟んで2人きり、3分以上の会話を楽しみ
心は実に晴れやかだった「クリスマスカードプレゼント」も


結果的に最終年となったこの年、これまで培ってきた歌唱面での努力の証と
相変わらずの性格の厄介さ加減(←何)が如実に表れていた
屈指の名イベント「ファンと行く神田明神初詣」も


約2年半の応援活動の中で唯一、「精神的に疲れてて」という弱音や
辛そうな表情を垣間見た、MM学園シングルの「大瀬&橋口握手会」も


熱い夏を経て、久々に行ったイベントで
個人的に最大級の衝撃事件が起こった(←ぇ)「橋本&秋山同時生誕」も


2010年春、何かを期待した面々が何故かやたらと集まって
奇妙な盛り上がりを見せた「NGP進級式」も


これら全ての良き思い出は(なんか方向性がだいぶ偏ってるのは気にせずに←)
全て万世橋にほど近い、あの紅白の看板のビルの中で与えてもらったものである。




前の人を追い抜くことが出来ない、幅一人分のあのエスカレーターも
タイミングを外すと乗れるまでにやたら時間の掛かる、あの古いエレベーターも
イベント前や握手前に何度も身なりを整えた、3・5・7Fのあのトイレも
今となってはもう二度と目にすることは出来ない。


「下手に中盤に立つよりも、最後尾で踏み台使った方が遥かに観やすい」なんて
整理番号悪かった時の対処法(?)も
「(抽選箱の)右壁に貼り付いてるのは結構良番」なんて
個人的に鉄板だった整理券抽選時の秘密奥義(??)も
「FINALイベ、当日引き換えたら24番なんて良番残ってるじゃないか!」なんて
完全に今更感満載の整理券引き替えノウハウ(???)も
今となっては役立つ機会は存在しない。
(あ、1つ目はライブハウスあたりなんかだと役立つかも?←)


でも、いつの間にか覚えてしまっていた、名物店員さんの顔と名前のように
小さい頃にCMで聞いて以降、今じゃソラで歌えるテーマソングのように
エディオンベースの青白よりも遥かに好みの、石丸ベースの紅白看板のように
それらの記憶はいつまでも忘れることはないだろう。


自分は最後の4年間ほどと、その歴史からすれば短く小さなものですが
それでも数限りないかけがえのないものを与えていただきました。
石丸電気SOFT本店(旧SOFT2)さん、大変お世話になりました!
またどこかで一緒に演(や)れることを期待して、今は一言、「ありがとう」と。