ポッシのプライド、キャナのプライド(仮題)

11月9日、渋谷のO-EASTで行われたキャナァーリ倶楽部3度目の単独?ライブ。
ゲストにTHE ポッシボー(+カレン&かのん(NICE GIRL μ))が出演するとのことだったが
にい☆彡は見に行かなかった。
むしろゲスト情報が発表される前は1公演くらい行くつもりだったのだが
発表されてからは逆に行く気を失い、事実場内どころか会場前にも足を運ぶことはなかった。


昨年秋のつんく♂THEATER第4弾でNGPメンバーが共演してからというもの
(もう少し遡れば時東ぁみ単独公演に後日ポッシのゲスト出演が追加されたのを含め)
TNX界隈においてはこのような追加発表が後を絶たない。
少し前だとポッシの単独ツアーに(全員ではないが)キャナのメンバーが駆り出されたり
先日はメガネっ娘のオーディション結果発表にポッシが駆り出されるなんてこともあった。
さすがに単独ツアーには行ったものの、メガネっ娘関連はキャナ単独と同様の理由で参加しなかった。
ひとつは「自分はポッシボーのファンであって、NGPメンバーのファンではない」ということ、
もうひとつは「誰が主役なのかを見失っているイベントには参加したくない」ということだ。




自分はポッシボーのファンではあるが、別にキャナなど他のメンバーとの共演を否定するわけではない。
メンバー自身においては、技術面では新たな比較対象を設けて更なる向上を図ることが出来るし
精神面では同じ年齢、また姉や妹のような存在を手に入れてお互いに支え合うことが出来るなど
自分自身や所属ユニットにはない刺激を受けて成長するメリットもあるだろう。
また見ている方としても予想し得ない化学反応が見られて楽しめたりもするし
それによって今まで注視していなかったメンバーの新たな魅力に気付けたりもする。
ユニットの垣根を越えた活動・交流が様々な効果を生み出すことは間違いのない事実である。


だがだからと言って、それを多用するのは好ましくない。
それも、期待していたほど興行での集客が見込めないから出演者を増やして集客を伸ばそうという
安直かつ無神経な理由(あくまで憶測に過ぎないが)であればなおのことである。
今回のキャナ単独ライブ、キャナのメンバーは自分たちだからこそ出来るライブを魅せようと
開催の報を聞いてから当日まで努力し続けて来たことは想像に難くない。
そんな折に、自分たちだけの予定だったライブに、大人の都合で異分子を混入させられると
知らされた時の彼女たちの心中はいかばかりか。
キャナメンバーの、そして彼女たちをメインに支えるキャナファンたちの想いを考えると
とてもじゃないが笑顔で楽しむことなど出来はしない。
ましてや自分はポッシメインのファンの一人である。どの面下げて彼女たちに逢えばいいと言うのか?




これからもこのような事態が続くのであれば、何もユニットをふたつに分ける必要はない。
例えば「ナイスガールプロジェクト!」という1チーム15人(11月10日現在)のアイドルユニットとして
出演メンバーをシャッフルしながらイベントやライブを行えばいいと思う。
だが実際は6人組のTHE ポッシボー、9人組のキャナァーリ倶楽部(11月10日現在)という
ふたつのユニットとして、コンセプトまでも明確に分けて活動させている。
ならばそれは両ユニット活動の最重要項目として必死に固持するべきではないだろうか。
ポッシだからこそ魅せられる魅力、キャナだからこそ魅せられる魅力。
2年ないし1年半の活動期間を経て、ふたつのユニットが作り上げてきた個性はそれぞれ違い
見る者を様々な形で楽しませてくれるまでに成長した。
せっかく生み出された輝きを、目先の目標のみを追い求めた結果失うような事態は
絶対に避けなければならないと思うのである。


自分はポッシのみをメインに据えて見守ることしか出来ない、不器用な男である。
そんな男から見れば、ポッシもキャナも研修生やメガネっ娘も器用に応援出来るファンの方が
NGP及びTNXに求められる正しきファンの姿であるような気もしないでもない。
ここまで述べてきたものが、不器用な男のエゴイスティックな主張である事実も認めよう。
だが世の中の人間全てがそのような器用な人間であるはずもない。
ポッシしか見れない人、キャナしか見れない人、更にはいずれかたったひとりしか見れない人。
それらの人たちの気持ちも大事にした企画運営をしていって欲しいと思う。


応援活動というものは義務でもなければ、生きるために必要な手段でもない。
所詮それぞれの人間の趣味、単なる娯楽のひとつでしかないのだ。
自らの興味・思考から外れた趣味・娯楽からは、人はあっと言う間に離れていく。
繋ぎ止めるにしろ、新たに開拓するにしろ。人を惹きつけるには相応の長期的な努力が必要だ。
短期的な収益を追求するがあまり、未来どころか現在の人間の興味さえも失いつつある事実。
彼女たちを支える立場の大人たちの、はたして何人がそれに気付いているのであろうか?


食の安全が叫ばれる昨今、大枚をはたけば安全な食材が手に入ると喜んでいる男が居る。
その食材が彼の手元に届くまでに、いったい何人の人々が見えない努力を重ねてきたのか
金を払うのみの彼にはどれほど理解出来ているのだろうか?
農家の娘を母に持つ者のひとりとして警鐘を鳴らし末筆とする。アンタのことだぜ?つんく♂