○○だからできること、○○にしかできないこと

実際に公開した日付的にはかなり今さらな話だけど、とりあえず書いておきたいので・・・><




2009年8月2日、THE ポッシボーは結成3周年を迎えた。
自分が彼女たちに惹き込まれていったのは、その結成から半年も遅れてからのことではあるが
それでも今までに与えてもらった記憶はいずれも鮮烈に心に焼き付いており
これまでの人生の中でも特に濃密な時間を過ごさせてもらったことは確かである。
数々の思い出を与えてくれた彼女たちには、この場を借りて改めてお礼を述べておくことにする。


思い起こせば2007年夏。キャパ400人前後である石丸電気SOFT2(当時)の7階に500人強の客を集め
見たくても見れないファンが会場外に溢れ出る時期もあったポッシボー
だが今では、同じ会場の後方立ち見エリアに大きな空間が目立つような状態にある。
一度集めた人間を引き留められなかった運営方法に問題があるという向きもあるが
(「ラヴメ〜」イベントで入場規制ではなく、広い会場を用意すべきだったとか・・・これは自論だが←)
ここはひとつ、手法よりもポッシに携わる人々の意識の面から現状を考えてみようと思う。








最大500人を集めたあの夏から変わったこと、細かく挙げれば数え切れないほどであると思うが
中でも一番大きかったのが、インディーズからメジャーへと移行したことではないだろうか。
自分たちのCDが、一部ではなく全国の店舗に並ぶ光景を夢見て、そしてそれが実現したことは
全ての”家族”にとって大きな喜びであったことは間違いない。
その上10位という結果を残したあの日の涙は、確かに素晴らしく、美しいものであった。


だが・・・それらの夢や結果を手に入れたあの日以降、その”家族”を取り巻く空気に身を置く中で
自分は一種の「甘え」みたいなものを感じずにはいられなくなった。
メジャーレーベルという拠り所、オリコンランクインという実績。
そういうものに、実際は一過性のものでしかないそんな儚いものに、
全ての人が今、あまりにも頼り過ぎてはいないだろうか?
日や場所によってムラっ気のあるパフォーマンスや、特段変わり映えのしないイベント内容、
見慣れてしまった顔触れの中で薄れ切ってしまった緊張感。
「いつもそこにある光景」に甘え切ってしまい、「自らがそこに存在する理由」を
全ての人々が完全に見失ってしまってはいないだろうか?




かつてSPEEDやモーニング娘。といったグループが日本中を熱狂させた時代から時は流れ
「アイドル(特に女性)」を取り巻く環境は大きく変化した。
その存在自体に以前ほどの文化的市民権はなく、その「追っかけ」は強く蔑まれる時代。
にもかかわらず、世の中には「地下アイドル」という新たに誕生したものも含めて
今まで以上に数多くのアイドルが、ただでさえ狭くなった市場にニーズを越えて溢れ返ってしまっている。
そのような状況の中で、一過性の栄光にすがって油断・慢心していては
あっと言う間に他のアイドルに客を奪われ、淘汰されてしまうであろう。


そんな現代を生き延びるためには、先述のような「自らがそこに存在する理由」、
自らがそこに存在していなければいけない必要性を見い出さなければならないと考える。
ポッシボーというグループが何を与えられるのか、○○という人間が何を魅せられるのか。
そういうものを前面に出して行かなければ、単なる有象無象の扱いを受けた後
やがて人々の記憶から消されてしまうだろう。
「自分に何が出来るのか」、「自分は何がしたいのか」。
3年間という長い活動期間の中で、それらはきっと各自で見つけることが出来ているはず。
4年目を迎えた今、全力でアピールして行って欲しいと思う。




今そこにあるものが、いつまでもそこにあるとは限らない。
ファンも、スタッフも、メンバーでさえも。
だから今を、ここにある今を、大事に必死に、生きていこう。
そうすればきっと、今よりももっと魅力的な未来が待っているはずだから。