薄め過ぎた水割り

というわけで、赤坂BLITZでのポッシ単独公演に行ってきた。前回の初単独時と比べると
使用衣装は既存のものを使わず、デザインにも気合が感じられる新規作製のものが中心で
定型文に見て取れた曲間のMCは、それぞれのメンバーの個性が表れたいきいきと楽しいものとなっていたし
公演の構成も、かなり驚かされる選曲やメンバーの組み合わせなどを次々と提示してくれて
より”THE ポッシボーらしさ”を前面に押し出した良いライブだったように思う。
個人的にチケット運にも恵まれ、昼は2列目左通路、夜は7列目(くらい)右通路という好位置を確保でき
そんなにい☆彡が今回の感想を述べるならば「最高に楽しかった!」と言うのが本来の筋であるべきだろう。


だが。今ここでこの文章を書き連ねているにい☆彡は何故か呟く。「なんだか物足りない」と。


公演をこの目で見た者の一人としては、公演自体にはさしたる落ち度はなかったように思う。
しかし終演後に残ったのは、全く使用せず持ち帰ることになった予備の着替え用シャツ&タオルと
突き抜けるほどの満足感を得られなかったことが招いている、この胸にチクリと残る痛み。
一体何故このような事態に陥ってしまっているのか。終演後に友人たちと酒を酌み交わす中で
ふとこんな喩えがにい☆彡の脳に浮かび上がった。


「配分を間違え、水で薄め過ぎたウィスキーを呑んだような気分」


普段のイベントでは石丸電気etc.という比較的小規模な環境でそれなりの満足を得て来たポッシボー界隈も
今回のように規模の大きな会場にそのままの状態で飛び込んでしまうと、どうしたってその満足感は薄れる。
小さなグラスを使っている時にはちょうど良かった水とウィスキーの配分も、グラスを大きくしたというのに
ウィスキーの量自体は増やさず、グラスいっぱいになるまで水を注ぐと、本来よりも薄く味気なくなるように。
小規模な会場で行ってきたものを、そのままの形で大きな規模の会場に持ち込んだ場合、どうなるか。
空間を満たす空気の量、客席を満たす観客の量に対するそれぞれの満足度は
小規模会場のそれよりも低くなってしまうのではないだろうか、そんな考えにたどり着いたのである。




かつて連日400人札止めとなることへの対策として有料化を進めたら、現在では平日のアルバム発売イベントで
200人を切ってしまうほどにまで集客力が落ち込んでしまっているポッシボーが、本日の夜公演において
600人(見た感じ)前後の観客を集めていたことには、ファンの一人として素直な喜びを感じている。
だがその600人を、イベントの200人と同じレベルにまで満足させようと思うならば
単純計算でイベントの200人相手の3倍のパフォーマンスを発揮する必要があるのではないだろうか。
200人相手レベルのパフォーマンスのままで600人の観客を相手にすれば、新しく来てくれた400人ばかりか
既存の200人が受け取る満足度までもが3分の1に低下してしまうのだから。


使用する会場が大きくなるということは、単に一度に見せられる人数が増えるということだけではないはずだ。
会場が大きくなれば、その分増える集客力に見合った技術・意識の向上が必要になってくる。
技術については一朝一夕に身に付くものではないし、今こうして大きな会場でライブを行うこと自体が
その向上のために用いられている可能性もあるので、現時点では言及を控えるが
意識については、今日明日にでも向上させる手段があるのではないかと思う。
今からでも遅くはない。神戸・名古屋の公演に向けて、「より多くの人たちを楽しませるためには」という
意識の向上を図ってもらいたいと切に願う今日この頃である。


にい☆彡の知ってるTHE ポッシボーは、まだまだこれ以上に心の底から楽しませてくれるグループなんだ。
なりふり構わず本気で6人を愛おしく思えてしまう感覚を、もっとたくさんの人に感じて欲しいから、あえて書く。