「コーチ」の存在感


とりあえずひととおり観終わった後の第一声(まぁ心の中で思っただけだけど)は


「あぁ、みんなにはこっちでも迷惑かけちゃってたんだなぁ」


撮影されている練習の雰囲気や、メンバーとのやり取りから察するに
卒業することはかなり突然に決まった(or決めた)感じなのかなぁと。
企画(?)開始当初から練習にはみっちり参加してるし
「私はポッシボーのメンバーよ!」とばかりにカメラには見切れまくってるし(ノ∀`)
こりゃ卒業したからって最初から居なかったように編集するのは無理な話だわ(何
クレジットに名前を載せざるを得なかったのも仕方なしと見るしかないか・・・




とまぁそんな余談はさておき(←?!)チアリーディングDVD、見てみました。
本業の歌手活動を圧迫したり、大会出場などはほぼ完全非公開で行われたりと
とかくファンからすれば”悪”でしかないこの活動なわけですが
このDVDをひととおり見た中では、さほどの嫌悪感はなく。
むしろ「そうそう、この子らは頑張ればこれだけのことが出来るんだよ」という
謎の親心みたいなものが芽生えて来るまでありました(ノ∀`)


それでも画面の中の彼女たちみたいに、号泣するほどの感動を得られなかったのは
自分がひねくれて穿った見方しかしてないという理由も多少はあろうかとは思うが(何
一番大きいのは「じゃあ何故これをイベントやライブに活かせない?」という疑問。
これだけひとつのことに対してがむしゃらになれる根性は持っているはずなのに
それがこと本業の歌手活動となると、これだけの熱い気持ちを感じ取れないことに
個人的には忸怩たる思いを抱かずに居られなくなる。




その中で至ったひとつの推論は、練習中の映像やインタビューなどで
幾度となく登場する「コーチ」という存在の有無が
多分に影響しているのではないかということ。
自分自身が学生時代に部活で汗を流していた時代を思い返せば、
監督の目が届かない所ではどうしても自分に甘えて手を抜いてしまう瞬間が
出てきてしまうのは人間の性(さが)である。それを戒めてくれるのがコーチ。
思えば当時の自分にも、そして映像の中の彼女たちにも
甘えに弛んだ気持ちを引き締め直してくれる「コーチ」がいてくれたからこそ
その程度の大小はあれど、それぞれがあるひとつの成功を収めることが
出来たのではないだろうか。


今の彼女たちには、チアで叱ってくれるコーチは居ても、
歌で叱ってくれるコーチが居ない。
両者に込められた情熱の違いは、その存在の有無が
そのまま影響している気がしてならない。
彼女たちの気持ちが弛んだ時、それをその場で正してくれる人物の登場が
今後の活動において必要なのではないかと思うのである。


・・・とはいえ、世の中に溢れる多くのアーティスト、アイドルグループの全てが
それぞれコーチをつけているという話は聞いたことがない。
年齢の上では未成年とはいえ、彼女たちは既にプロフェッショナルである。
自らの内に、もしくは自分たちのグループの中にコーチの様な存在を設けて
自分で自分を戒めながら、日々のレッスンに取り組んでくれることを
願いたいのだが・・・




※キャナ結成3周年というこの良き日に、こんな重苦しいテーマを扱うのは
 自分自身も本意ではないんだけどね・・・
 気分を害された方がいらっしゃったら申し訳ないm(_ _)m